〜希望の光〜
まりんのことだけを考えていたくて、まりんのことだけを考えていられなかった、苦しい初七日があけた。
まりんの初七日9月10日は、奇しくもラピの3歳の誕生日。逝った子を悼むのも、今そばに居る子の誕生日を祝うのも、愛しい命を尊ぶことに変わりはないよね。
私達は、いつもよりちょっと豪勢な手作りご飯を作り、ラピの誕生日を祝った。
ラピくん、私達の家族になってくれて、ありがとう。
いつも、そばで支えてくれて、ありがとう。
これからも、元気でご長寿ニャンめざそうね。
まりんのことを気遣いつつも、ラピにお祝いのメッセージをくれた友の心遣いが、とても嬉しかった。
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この頃には、私の体調も徐々に回復し、やっと、ゆっくりとPCにも向かえるようになった。そして、ブログによせられた温かいメッセージや、メールを目にした。
小さな子達を家族として暮らしている友は、私達の気持ちを深いところで理解してくれている。そのことが、何よりありがたくて、心のこもったメッセージを一つ一つ読んでいくごとに、気持ちが少しずつほぐれていく気がした。
「虹の橋」をメールで贈ってくれた友もいた。
愛猫を亡くされた時、私達が贈ったメッセージの言葉を、今度は私達に贈り返してくださった友も…。
もちろん、私達にしてみれば、どちらも既に知っている物語、メッセージ。だけど友は言った。それを、改めて「あなたの為に」と贈ってもらうことに、意味があるんだと。
同じように辛い経験をされたことのあるママさん達が、こういう時はなんと言葉をかけていいか…と、戸惑いながらメッセージをくださるお気持ちも、ありがたいと思った。
多くの友が、まりんを愛してくださったこと。
私達の家族として、一緒に悼んでくださったこと。
母達にとって、それは大きな救いだった。
抱えていた問題も少しずつ解決していく中で、ずっと心にあったのは、このまま本当にルキアを諦めていいんだろうか….ということ。
もしかしたら、私達の中で一番ひっかっかっていたのは、桃が亡くなった直後にまりんを迎え、桃の代わりとしてまりんを愛そうとしていた、かつての反省の念かもしれなかった。
まりんは、そのせいか、最初なかなかなついてくれなくて….。
もちろん、いつからか、まりんは立派に「まりん」という存在になったけど、今、こうしてまりんを早くに失って、母達の心の中には、改めて、まりんに対する申し訳なさが、わき上がる思いだった…。
ルキアをまりんの代わりにしちゃいけない。
でも、ルキアのお迎えは、まりんのことがあるより前に決まっていたことじゃない。
でも、ルキアはウチにくるより、もっと幸せな家族に迎えられた方が…。
でも、ルキアは運命のラピルナ子だったんじゃ….。
でも、まりんの喪中に喜びことは避けるべきでは…。
でも、まりんの四十九日があけてからなら…..。
でも、その頃には、ルキアは大きくなっていて、ラピルナの精神的な受け入れのハードルが高くなってしまう….。
でも、でも、でも、でも、でも…..。
毎日、姉妹で、呪文のように繰り返す「でも」
自分たちの気持ちは、分かってた。一度は、家族と決めたルキアだもの。
だけど、父の脳梗塞から始まって、私の喘息発作の再発、心を痛める問題ごと、まりんの急逝、不運なことが続いていた我が家にルキアをお迎えして、また何かよくないことが起こったら….。それが怖かった。
結果的に、ルキアを諦める方針をずっと貫いていたし、第一、もし私達の気持ちが「お迎えしたい」方向に変わったとして、またそんな勝手なことを言ったら、大阪のママにも、そしてルキアにも、申し訳なさ過ぎる。
でも、ママは、私達が立ち直って「やっぱりルキアを迎えます」と言い出すのを待っていてくれたんだと、この頃、初めて知りました。
「この子の家族は、りんぽぽさんしゃおらんさん以外に考えられない」そう言ってくださったママのお気持ちに、私達は、真剣に答えを出さなくちゃいけない。
今回の事情を全て知っている親友は、“家族が賑やかになって、りんしゃおさん達に笑顔が戻ったら、まりんくんきっと安心するね”と、私達の背中を押してくれた。
こんな弱い私達に、ルキアを迎えられる精神力が、まだ残っているだろうか….。
私達には、何か、ふっきる“儀式”が必要だった。
この世の中に、悪いサイクルなんてない。悪いサイクルに入ってしまったと思いこむ人の心が、また次の不運を呼び、逆に、幸せになろうと強く思う人には、良いことがおこる。
そう信じたかったから。
あくる日の朝、母Bが突然言い出した。「今からお祓いに行って来よう」
こんな時でもなかったら、「へ????」と笑い出してしまったかもしれない。でも、今の私達には、それも必要と思えた。
その日の午後、小さい頃よく行っていた神社に姉妹で出かけ、生まれて初めての“お祓い”を経験しました。お願いしたのは“家内安全”。
お祓いの儀式の間、私は、家族の幸せを願いながら、子供達の顔を、ひとりひとり想い浮かべてた。
虹の橋のまりんと桃が、毎日楽しく笑って遊んでいられますように…
りゅうちゃんが、ずっと健康で長生きできますように…
ラピルナが、ずっと健康で仲良しで、長生きできますように…
その時、脳裏にルキアの顔が、ちょこりんと浮かんで来た。
あ、ルキアだ…☆
ルキア….ルキアを、私達が幸せにできますように…
自然に祈ってた。
お祓いが終わって御神酒をいただいて、神殿を降りる時、母Bが「ねえ、ルキアの顔、うかんだでしょ」そう言った。以心伝心というやつらしい。
まりんが旅立ってから、私以上にふさぎこんでいた母Bが、初めて心からの笑顔を見せた。「まりんと桃が笑ってるのも見えたよ」
その日、私達は、大阪のママに改めてお願いした。「身勝手で弱い私達に、まだ、ルキアのママになる資格はありますか….」
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ルキアが家族に加わってからの毎日は、一日の半分をまりんを思って涙し、一日の半分をラピルナルキアの織りなす騒動に大笑いさせられるような日々….。
ルキアの存在が、まりんのいない寂しさを埋め合わせてくれるわけじゃない。
いくらまりんの魂は一緒にいるといっても、あのふわふわの可愛い体がそばに居てくれない、どうしようもない寂しさは、少しも小さくはならない….。
でも、悲しみが色あせなくても、幸せは膨らんでいくものなんだと、子供達は教えてくれる。
ルキアをすぐに受け入れ、仲良しになってくれた、優しいラピルナ。
まりんと遊べなくなった寂しさを乗り越え、毎日元気でいてくれるりゅうちゃん。
そして、イタズラばっかりして、毎日母ちゃんを困らせる(笑)、光の天使、ルキア。
まりん、桃、安心して、楽園で遊んでいてね。
母ちゃん達、笑顔を取り戻したから。
いつか、まりんと桃に再会した時、母ちゃん達頑張ったよって言えるように、顔を上げて、真っ直ぐ前に進んでいくね。
まりん、桃、りゅう、ラピ、ルナ、ルキア….家族は、いつも一緒だよ。