〜絶望〜
日付が変わった9月4日。この日がまりんの命日となった。
まりんが眠っているケージの前で、しばらく家族で集まっていたけど、私の喘息発作が激しく出てしまったことと、ラピルナが、母達のただならぬ様子にナーバスになってしまっていたために、ラピルナを伴い、私は猫部屋の方にひきあげた。
母Bは、うさ部屋で、ずっとまりんと語らっていた。
実質、私より、よほどまりんと一緒にいる時間が長かった母B。どれほどショックを受けているか、それを思うと、余計に辛かった…。
朝7時。かかりつけ病院の主治医先生から電話があった。留守番電話に入れたメッセージを聞いて、早朝診療に応じてくださるお電話だった。
残念ながら亡くなりました…と告げると、先生も、絶句されていた。
スタッフの結婚式で臨時休診にしたことが、申し訳なかったと….。
思えば、桃の時も、容態が急変した日は、たまたま頼りにしている主治医先生がお休みのシフトの日だったし、さらに、まりんまでも….。
ただ、先生は仰っていた。“そこまで急激な悪化は、通常の食滞では考えられない。もしかして、心臓か脳に何らかの急激なトラブルが起きたのかも…。私が診てあげられたとしても、バリウム造影やいろんな検査に、まりんくんの体力が持ちこたえられたかどうか….”
そう思いたいと思った。誰であっても、助けられなかった運命だと。
主治医に診ていただいていたら、助かったんじゃないか…。桃のことで、何年もひきずっている苦い思いを、また繰り返すのは、もうたくさん。これは、運命。誰が悪いわけでもない。
お電話をくださったことに丁寧にお礼を告げて、お電話を切った。
静まりかえった家の中。ただ、家の中に家族だけが居るというだけで、ものすごく全員の心が繋がっている実感がある。
まりんをお空に返すのを、どこに依頼するか。その現実的な問題を、検討しないとならないけれど、それ以外は、外界を遮断して、優しい子供達と一緒に静かに過ごしていたい….。そう、心から願った。
でも、それは叶わなかった。
私達は、この時、早急に対処しなくてはならない問題を抱えていた。できれば、まりんの初七日が済むまでは、まりんのことだけを考えていたかったけれど…それは許されなかった。
私達にとって、実の子と同じ存在のまりんでも、端から見たら、たかがペット、たかがうさぎ。全ての現実を遮断して喪に服したいと願うのは、私達の身勝手なのかもしれない。
この後の数日間、心の半分をまりんに、残りの半分を、現実的な問題に割いた。心の全てでまりんのことを考えてあげられなかったことが、まりんに申し訳なくて、私達の気持ちはボロボロになってしまった…。私は、起きあがれないほど体調を崩し、母Bにさらに迷惑をかけてしまったし、二人とも、ほとんど睡眠も食事も摂れない状態だった。
ラピルナりゅうの前では、極力笑顔を作っていたけど、鋭い子供達が、母達のことを心配しないはずがない…。そのことが、また辛かった。
すっかり精神のバランスを欠いてしまった私達は、真剣に思った。
外界と全ての繋がりを一切断ち切って、これからは、家族だけで、ずっと殻の中に閉じこもっていよう..。
悲しみでボロボロになった我が家に、新しい家族を迎える資格は無い。
ルキアは幸せになる為に産まれてきた。
ウチに迎えたら、私達は、ルキアの顔を見るたびに、まりんが亡くなったことを思い出すだろう。
この、どん底の日々を思い出すだろう。
それは、ルキアにとっても、私達にとっても不幸なこと。
運命の出逢いだと思ってた。
もう名前も決めて、家族だと思ってた。
でも、“ウチよりも、もっと幸せな家庭に譲ってあげてください”
私達は、大阪のママに、そうお願いし、ルキアを諦めた。